最高裁判所第二小法廷 昭和37年(オ)863号 判決 1966年11月25日
上告人 梅田振興株式会社
被上告人 神戸税関長
訴訟代理人 上田明信 外二名
主文
原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。
被上告人が昭和三三年九月一六日上告人に対してした関税賦課処分は無効であることを確認する。
訴訟の総費用は被上告人の負担とする。
理由
上告代理人押谷富三、同田宮敏元の上告理由第一点および第二点について。
合衆国軍隊の構成員が自已若しくは家族の私用に供するために輸入する自動車は、昭和二七年法律第一一二号関税法等の臨時特例に関する法律六条によつて関税を免除されるが、合衆国軍隊の関係人以外の者がこれを日本国内において譲り受けようとするときは、同法一二条一項によつてその譲受行為が輸入とみなされ、関税法の適用を受ける。そして、本件に適用される旧関税法(明治三二年法律第六一号、但し、昭和二七年法律第一九八号による改正後のもの。以下同じ。)八三条の規定によれば、犯罪貨物は犯人または悪意の取得者から没収し(一項、二項)、没収不能のときは、犯人からその原価を追徴する(三項)とともに、「犯則当時ノ貨物ノ所有者」から当該貨物の関税を国税徴収法の例によつて徴収する(四項)こととなつている。ところで、輸入申告、関税納付、輸入免許等の事前手続を経ないで免税自動車を譲り受け、これを引き取れば、その引取時において、直ちに、右関税法七五条一項の関税逋脱犯が成立することは、当小法廷昭和四〇年九月四日決定(刑集一九巻六号六一〇頁)の示すところであり、また、同法八三条三項にいう「犯則」とは、必ずしも逋脱犯に限られるわけではないが(昭和三三年一月三〇日第一小法廷判決、刑集一二巻一号九四頁参照)、犯罪貨物の運搬、寄蔵、収受、故買、牙保等同条一項所掲の犯罪でなければならない、と解するのが相当である。
原判決(およびその引用にかかる第一審判決)の確定した事実によれば、本件自動車は、もと合衆国軍隊の構成員が私用に供するために輸入した免税自動車であつて、通関手続未了のまま、陳卓沐、石部源治へと順次譲渡され、右石部において所有していたが、上告人会社の代表取締役植中清が昭和二八年初め頃同人からこれを買い受け、その頃引渡しを了したものであり、右植中は同年一二月初め頃いわゆる自動車ブローカー中尾覚らに通関手続を依頼したところ、右中尾らは同月二五日通関書類を偽造して兵庫県陸運事務所に提出行使し、井上親雄なる虚無人名義で新規の登録を受け、即日上告人会社名義に登録換えを行ない、その頃までに本件自動車の所有権も、右植中から上告人会社に移転されていた、また、その後、右中尾は、本件自動車に関する関税逋脱の罪に問われた、というのである。以上の事実関係の下においては、前記中尾が税関貨物取扱人法(明治三四年法律第二八号)にいう正規の税関貨物取扱人であつたとしても、同人の前示所為は、刑法上の文書偽造等の罪を構成するのは格別、関税逋脱等前記関税法八三条一項所掲の犯罪に該当せず、したがつて、上告人会社は、同条四項にいう「犯則当時ノ貨物ノ所有者」にあたらないといわざるを得ない。
されば、論旨は、理由があり、原判決およびこれと同趣旨に出た第一審判決は、その余の上告理由について判断を加えるまでもなく、破棄または取消を免かれない。そして、上告人の本訴第一次的請求は、これを認容すべきものとする。
よつて、民訴法四〇八条一号三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判官 奥野健一 草鹿浅之介 城戸芳彦 石田和外)
上告代理人押谷富三、同田宮敏元の上告理由
第一点原判決は事実誤認乃至法令違反がある。
一、第一審判決は、本件自動車は昭和二十八年初め頃上告会社代表者たる植中清が訴外石部源吉から代金百二十五万円で買受けたもので、その後専ら自己の個人的用途に用いていたが、同年暮頃には上告会社の営業用に使用されることが多くなつたこと、本件自動車は同年十二月二五日兵庫陸運事務所において原告会社名儀に新規登録がなされ、同日大阪陸運局に登録換申請がなされ翌二九年一月十三日同局に登録されたこと、上告会社備付の会計帳簿には昭和二八年五月一日付で仮払金の項目に前期繰越金一、〇〇〇、〇〇〇円、車輌運搬具の項目に昭和二九年三月一日付で自動車仮払より振替一、〇〇〇、〇〇〇円各記載があり、右仮払金一、〇〇〇、〇〇〇円は植中清が本件自動車の購入につき仮払金名下に借出したものであること等の事実を認定し本件自動車は右植中清が昭和二八年初買受当時は同人の個人所有であつたとしても上告会社がその経営規模を拡大し、本件自動車を会社の業務に用いるようになり、その通関料を仮払金名下に会社から支出し、上告会社名義で登録した、昭和二八年十二月二五日当時には本件自動車の所有権は右植中清から上告会社に譲渡されていたものと認めるのが相当である旨判示し、原判決も、本件自動車は昭和二八年十二月二五日兵庫陸運事務所にいつたん仮空人井上親雄名義に新規登録がなされ同日直ちに上告会社名義に登録変更がなされた旨第一審判決の認定を変更した外は第一審判決理由に記載するところと同一である旨判示した。
しかしながら、本件自動車は訴外石部源吉から買受けた時期は昭和二七年三月頃であり、又買受けた者は上告会社でなくして右植中清個人であり更に同人から上告会社に譲渡されたのは昭和二九年一月中旬であつて右植中清と上告会社間の本件自動車譲渡については取締役会の決議を経ていないので右譲渡は無効というの外なく、従つて昭和二八年十二月二五日当時には本件自動車は上告会社の所有ではないのである。
原審の前示認定は審理不尽の違法があり採証法則経験則に違背し事実誤認の違法があり、適法に確定したものとは到底言えないのである。
二、先ず、本件自動車が訴外石部から譲渡された時期であるが、証人植中耕一、上告会社代表者植中清の第一審及び原審における証言及び尋問結果によると、本件自動車の取引は右植中清個人の自宅で行われたもので、その時期はうすら寒い春先であつたこと、右耕一が右取引に立会つたわけではないが、たまたま学校の休暇で帰省中であつて取引交渉中の本件自動車を始めて見て本件自動車の車体が赤色であつたので特に印象が深かつたこと、右耕一は昭和二八年三月末慶応義塾大学を卒業したものであるが、同人は卒業前には既に就職口(東京)が内定し、同年初頃から実習の名目で右就職先に勤務していて同年春先には帰省していないことが明らかである、従つて本件自動車の取引は昭和二七年三月の春であると認定さるべきが経験則に合致するのである。
右植中耕一の大蔵事務官に対する質問調書、及び訴外中尾寛の関税法違反被告事件についての証人調書、右植中清の同事件についての証人調書の各記載は本件自動車が一体何時買受けたものであるかということに焦点をおいて前後の事情を慎重に検討し述べられたものでなく右耕一、清等においては本件自動車が上告会社名義に登録がなされており、且つ既に上告会社の所有となつた後において同人等が関税金を二回に亘り詐取されたことから自分等は全くの被害者である事を強調し述べられたものであること、反面取調官より或いは裁判官、弁護人等からその点を突然に種々聞かれても仲々平静な心理で前後事情を考え併せ適確に時期を思い起すことの困難であること等を考える時は前記各調書の記載は転々に信頼を措けないものである。更に上告会社の会計帳簿上の前記仮払金については単に昭和二八年五月一日付の繰越というだけで果して何時の仮払金か、何回かに亘るものか全然不明であり、右植中清の尋問結果(第一審及び原審)にすると、右仮払金は馬の買受資金として借用した旨述べているところで、右仮払金をもつて本件自動車の買受時期を推定し得るものではないのである。
三、次に本件自動車を訴外石部から買受けたのは上告会社かその代表者たる植中清個人かという点であるが、上告会社には当時本件自動車を購入すべき動機が全然存在しないのである。上告会社は遊戯店、飲食店等を営業目的としているのであるが、当時はパチンコ遊戯店一軒のみで、しかもその経営は人まかせにしていて右植中清自身においてその営業をみること等は絶無であつたので上告会社の用に本件自動車を利用することはあり得ないのである。同人の第一審及び原審における尋問結果によると、同人はかねてから競馬に趣味を持ち、自身も平素から馬を数頭所有し、競馬場への往来や社交上乗用車の一台位は所有せねばならんという理由で本件自動車を買受けたものであることが窺われるのである。原判決も本件自動車が当初右植中清個人が使用していたものであることを認めているところである。
前記の植中耕一の質問調書、植中耕一及び植中清の刑事々件における証人調書の記載はいずれも既に上告会社の所有となつた後の事を念頭において供述されていることから不明確となつているのであつて、その記載そのものを認定資料とはなし得ないものである。
更に本件自動車代金百二十五万円と同時に支払つた関税予定金三十万円合計金百五十五万円が右植中清から訴外石部に支払われたのであるがパチンコ営業で相当の利潤をあげていた頃のことであつて、代表者個人が会社に全額なり一部なりとも立替払いするといつたことがあり得る道理がないのである。
四、ついで、本件自動車は何時植中清から上告会社に譲渡されたものであるかという点であるが植中耕一植中清の第一審、及び原審における証言及び本人尋問結果によると本件自動車は訴外石部から譲受けた際、関税金が未納であるということで代金百二十五万円と関税予定金三十万円計百五十五万円を支払つたものであるところ、訴外石部を通じ本件自動車の通関手続を訴外鈴木某に依頼したが、同訴外人は当初から右関税予定金を詐取したものか或いはこれを着服して、度々の催促にかかわらず通関手続を放置していたのでやむなく右石部を通じ更めて訴外中尾に右手続を依頼することとなり前回にこりて、植中耕一を同行させることとし、たまたま植中清の手元に現金の持合せがなかつたところから上告会社より関税予定金として五十五万円を仮払金名下に借用し(小切手を換金)右中尾に交付したところ、同人は右耕一に通関手続を了したかの如く作為し、これを詐取したのであるが、本件自動車の通関手続を了し登録をなすについて、右植中清は右植中耕一に当然自己の名義にするものと思い込み、特に自己の名義にするべき旨を指示せず唯通関及び登録を頼むといつた程度であつたのであるが、他方植中耕一は右植中清から特に上告会社名義に登録すべき旨指示がないのに拘らず、本件自動車につきガソリン代、修理費等の諸経費の負担を会社でなさしめる利益があるところから敢て右植中清に相談することもなく本件自動車を上告会社名義に登録すべき旨前記中尾に依頼した結果同人からは昭和二九年一月中旬に至り登録を了した旨書類並にその報告を受け、その直後これを右植中清に報告したのであるが、同人は右報告を聞いて驚いたものの右耕一から会社名義となすことを承認したものであることが窺われるのである。しかして右清、耕一両名ともに本件自動車の登録が当初兵庫陸運事務所においてなされたことを全然知らず唯前記中尾から大阪陸運局に登録されたことの報告を受けたのみであつて、しかも右清は上告会社名義に登録すべき意思を全然有せず右耕一から説得されて始めてこれを承認したわけであるから、右承認を譲渡と解するならばその時期は昭和二九年一月中旬のことである。
第一審並に原審は昭和二八年暮頃から上告会社は天王寺方面に新たにパチンコ遊戯店を設けたため上告会社の営業用に用いることが多くなつたことや通関料を上告会社から支出したこと等を根拠として昭和二八年十二月二五日当時所有権が上告会社に譲渡されていた旨推定しているのであるが、上告会社は火災のため営業店舗を失い一時休業状態であつたが、天王寺に新たにパチンコ、遊戯店を設けたのは昭和二九年一月であつて昭和二八年暮ではないのであり、又植中清は本件自動車につき合計百五十五万円を支出しているのであつて、通関料五十五万円を支出しているのであつて、通関料五十五万円を仮払金として借用したことをもつて直ちに上告会社に譲渡したものとみることは出来ないのである。
前記の植中耕一、植中清の質問調書刑事々件における証人調書の各記載は既に述べている如く本件自動車が上告会社の所有であることを前提として唯代表者たる植中清の善意悪意を主なる焦点として尋問なされており、右清から上告会社への移転が何時であつたか尋問を受ける当人にとつてはさして重要事でなかつたのであるからその記載そのものを採つて証拠資料とすることは採証法則上許されないのであり、右清の証人調書記載中には昭和二九年一月に上告会社に譲渡した趣旨の証言をしている個所もある位である。
しかして、本件自動車の上告会社における経理処理は訴外杉邨において昭和二九年三月一日付で帳簿に投載したわけである。
従つて本件自動車は昭和二八年十二月二五日当時は上告会社の所有にあらざるものである。
五、しかして、本件自動車が上告会社名義に登録がなされ、これが前記植中清において承認された経緯をみても明らかである如く本件自動車を上告会社が譲受けるについて所謂自己取引として取締役会の決議を要するに拘らず、かかる決議を経ていないのである、従つて右譲渡は無効というの外なくこの点につき原審は本件自動車が右清から上告会社に移転されたものと認定するについては被上告人に対し取締役会決議の存否につき釈明をなしこの審理をなすべきに拘らずこれをなさず釈明に権不行使並に審理不尽の違法がある。
六、叙上のとおり本件自動車が昭和二八年十二月二五日訴外中尾の犯行事案の当時上告会社の所有であることを前提としてなした本件関税賦課処分は違法であること明らかである。
第二点原判決は旧関税法第八三条第四項の解釈適用を誤つた違法がある。
一、原判決は「旧関税法第八三条第四項の規定は、犯則当時の犯則貨物の所有者に対し関税の納付義務を負担させるものであつて、その所有者がすでに輸入申告者ないし譲受行為者として当該貨物につき関税の納付義務を負担しているかどうかにかかわりなく別個の賦課原因に基づいて関税の納付義務を負担させるものと解するのが相当である」と判示している。
二、しかしながら右条項は犯則貨物について関税の納付義務を負わない所有者に対し特に関税の徴収確保のため政策的にその義務を負担せしめた規定であつて犯則貨物の所有者が関税の納付義務者でないことを前提とするものと解すべきである。
本来関税の一つであるから法律の規定をまつて始めてその納付義務が創設されるものであるが、旧関税法第八三条第四項は輸入貨物につき犯則事案の存する場合、関税の徴収は困難となるので、特に政策的に犯則当時の貨物所有者に関税納付義務を創設負担せしめたものである。従つてその論理的前提として右条項にいう犯則貨物の所有者には既に他の法律上の根拠に基き関税の納付義務を負担していた者を包含しない趣旨に解すべきものであるしかのみならず関税は物税たるを本質とするものであるから同一輸入貨物につき同一主体に対し関税は一つであつて複数の関税というものを肯定し得る筈がない。ここに請求権競合的観念を容れる余地はないと考えられる。
三、本件自動車は元駐留車米兵の所有であつたが中国人某を経て訴外石部から譲受けるに至つたもので昭和二七年法律第一一二号関税等の臨時特例に関する法律の適用がありそのため本件自動車の譲受けは輸入とみなされこれが転得者も輸入者と連帯して関税納付義務があるとされているところである。
四、従つて本件自動車については前記昭和二七年法律弟一一二号の適用による関税納付義務が存したものであるから旧関税法第八三条第四項を適用する余地なきものである。(昭和二七年法律第一一二号法律による関税は本件関税賦課処分当時時効消滅している)。
第三点原判決は旧関税法第八三条第四項、同第七条の解釈適用を誤つた違法がある。
一、第一審判決は「旧関税法第八三条第四項による関税徴収権の消滅時効の起算日は当該貨物について関税逋脱等の犯則事件の行われた時である」旨判示し、原審は右判示を容認している。
二、本件自動車は前記第二点にて述べた如く昭和二七年法律第一一二号が適用されるものであるところ、仮りに旧関税法第八三条第四項が適用ありとするときは両法条に基く関税納付義務が併存する筋合いとなる。
しかして昭和二七年法律第一一二号第六条第十二条による関税納付義務の時効起算日は当然輸入とみなされる当該貨物譲受けの時であり旧関税法第八三条第四項による関税納付義務のそれは犯則事件の行われた時であるとするならば、茲に同一主体、同一貨物につき時効起算日として二個の異なる時点が存することとなる。
本来関税は物税たるを本質とするものであり、また時効制度の本質からも時効起算日として相異る時点が併存するごときことを容認し得るであろうか。時効制度はその権利を行使せざることに基くものであるからその権利を行使できる時これを反面から言えば旧関税法第八三条第四項による関税納付義務発生の時と一応解することも出来ないわけではないが当該貨物について他に関税納付義務者の存する場合その義務が既に時効消滅した後もなお義務を負担して衡平の精神に反する結果となり又同一主体についていえば他の法条の根拠に基く関税納付義務については既に時効消滅しているに拘らずなおその義務を負担し不合理な結果となる。関税に関する限りは物税たる本質上課税根拠たる法条の如何に拘らず一率に輸入の時より時効が進行するものと解すべきもので、これがまた条理に合するものでありかく解する方が輸入貨物の転々流通する点より取引安全保護の見地にも合致するものである。更に会計法による五年の時効期間の制度の趣旨からも事実上五年以上の時効を認める結果となる解釈は許されないものと信ぜられる。従つて旧関税法第八三条第四項による関税納付義務の時効起算日は当該貨物の輸入の時となすべきものであり少くとも他の法条に基く同一貨物についての関税納付義務の存する時はこの義務の時効消滅の時に同じく消滅するものと解すべきである。
三、しかして本件自動車については前記第一点に述べた如く訴外石部から譲受けたのは昭和二七年三月であるから(本件自動車の輸入とみなされる譲受けの時期は本件記録上明らかでないが)既に関税納付義務の時効消滅していることは明白である。仮りに訴外石部からの譲受けが昭和二八年三月としても右輸入とみなされるべき元駐留車米兵からの譲受の時期につきこれを確定せざる審理不尽の違法があるのである。
第四点原判決は国税徴収法第六条同施行規則第一条の解釈適用を誤つた違法がある。
一、第一審判決は「国税賦課処分をなすにあたつては旧関税法第八三条第五項、昭和三四年四月二〇日法律第一四七号による改正以前の国税徴収法第六条、同施行規則第一条により納金額、納期日、納付場所を指定した納税告知書を納税人あてに発することをもつて足り、法令上課税の根拠及び対象を示すことは要求されていない。換言すれば右の課税根拠及び対象の記載は関税賦課処分の要件ないし内容をなすものといえない旨判示し原審はこれを容認している。
二、元来行政行為も一般法律行為と同様その内部的意思決定と外部的成立とを区別し得るものであつてその外部的成立によつて行政行為の効力を発生するものであることは言うまでもない。しかして行政行為の外部的成立ありとするにはその内容たる要素を表示すべきものであることは当然である。
そこで本件関税賦課処分としてその外部的成立ありとするには関税が物税たる本質上少くとも課税対象課税金額を表示すべきものと解される。
しかるに前記国税徴収法第六条同施行規則第一条に規定する納金額、納期日、納付場所のみによつて一般的にその国税賦課処分は外部よりその内容を十分認識し得るであろうか、右に規定する所のみによれば国税の何たるやも明らかでない場合もあるのではないか、要するに前記法条は国税賦課処分をなすについてその最小限度準拠すべき方式を規定したに過ぎないものでこれが遵守さるべきは当然であるが国税賦課処分たる行政行為の外部的成立に十分なる要件を規定したものではなくまた右規定事項のみをもつて国税賦課処分たる行政行為の外部的成立のための要件と解すべきでない。
三、本件関税賦課処分は納税告知書(甲第一号証)によるものであるところ単に関税金とのみ表示があるのみで課税対象については何らの記載がないのである単に関税というのみでは一体何に賦課したものか不明であつて所得税などとは本質的に異なるところがある。従つて本件関税賦課処分には表示行為として課税対象の記載を欠く瑕疵が存するのである。原判決は前記法条に則る限り国税賦課処分として欠くるところなしと判断したるは法令の解釈適用を誤つたものである。
第五点原判決は最高裁判所判例に相反する判断をした違法がある。
一、第一審判決は本件課税処分の取消しを求めるには須らく旧関税法第六条以下の規定により審査の請求及び訴願の手続を経るべきところ、上告会社のなした昭和三二年十二月三一日の審査請求が本件課税処分の一ケ月以内になされたものでないことは上告会社の自認するところであり上告会社が適法に審査請求がなされなかつたことについて正当な事由があると主張するが、かかる事由は認められない旨判示し原審もこれを容認している。
二、本件課税処分は昭和三二年九月十六日上告会社に対しなされたものであるところ、その納税告知書には何ら課税対象を記載されていず果して如何なる物件に課税して来たものか不明であつた。当時上告会社は本件自動車をまだ所有していたのであるが、本件自動車の関税については前記の如く中尾寛に依頼して既に納付済であることを確信しているので関税等を賦課されることは蒙想だにしなかつたところである。従つて前記納税告知に対し何らかの間違ではないかと内々考えたが、念の為植中耕一が神戸税関に行き係官と面接したところ、本件自動車につき課税した旨を聞知したものの関税は既に中尾寛を通じて納付済と確信している同人にとつては係官の話に半信半疑容易に納得出来なかつたのである。通関手続を了したと信じ登録迄出来ているのみであるから法に暗い素人として同人が係官の説明が掴めなかつたのも道理である。そこで明確に理解したいため文書による説明方を依頼したところ、係官はこれを了承し、文書をもつて回答すること約した。尚この時係官は不服申立は一ケ月以内にせねばならないことを教示しなかつた。そこで上告会社は右文書による回答を待つていたところ、漸く同年十月二一日付「徴税理由の回答について」と題する書面(甲第二号証)で本件課税処分は一九五四年型キヤデラツクに対するものである旨通知し来つたのである。この時は既に一ケ月経過後である係官に於ては故意に期限を経過するように回答をなし来つたとしか考えられないのである、期限経過後の回答では全く無意味である法規に通ずる係官として期限を経過した後、しかも間違つた回答を送付し来つたのである。故意でないとしたら重大な過失である右耕一が係官に聞きに行つたのは納税、告知書が到達してから約一週間後である。しかも回答が間違つていたため、上告会社においては矢張り間違であつたと安心するに至つたのである。中尾寛の犯している犯則事案は本件自動車のみではない多数の外車が存するのである右耕一や右清において本件自動車につき関税を納付していると確信しているところであつて、しかも間違つた回答を受けることによつて本件関税賦課処分が間違つていると信ずる根拠は十分である。従つて上告会社としては幾等税関と雖も上告会社の現に所有せず、又所有したこともない、一九五四年型キヤデラツクに対する関税ならばこれを放置していてもよもや徴収されることのないものと信じるのは無理からぬところである。その後上告会社としては本件課税処分につき何をなすことも忘れていたところ、同年十二月七日附「訂正通知について」と題する書面(甲第三号証)で前記回答は間違であつて本件課税処分は本件自動車に関するものであること知り茲に神戸税関に赴き口頭にて不服申立をしたところ、文書によらざるものは受けつけられず手続関係に無知のためその間に若干の日を経過したが、漸く同年十二月三十一日審査請求をなしたのである。第一審は右耕一、右清が関税逋脱犯則事件につき参考人或いは証人として取調べられた際容易に本件自動車について関税を課せらるべき旨了知した筈だというが右は法の専問家でなければ解らないことであつて右両名としては法に暗くしかも中尾を通じて関税五十五万円も納付しているものと確信していたのであるから第一審の右判示は経験則を無視した認定というの外はなく又被告徴収課長に免税に赴いたというがこれ亦事実誤認である。右両名は関税金を納付していると信じている以上免税交渉に赴く筈もなく又中尾の関係した犯則事案の外車は数も多く右両名には関税を納付すべき義務あることは未だ以つて信ぜられない状況である。
右経過事情よりみるならば本件審査請求については期間経過につき宥恕すべき特別の事情が存するものである。
しかも上告会社のなした訴願に対する大蔵大臣の裁決書(乙第七号証)には実体判断をなしているのであつて期間経過につき宥恕を不相当と認むべき特段の事情も認められないところであるから、原審の判示は最高裁判所に違反すること明らかである。(昭和二七年(オ)第一四四号同二九年八月二〇日判決、集八巻八号一五二四頁、昭和二七年(オ)第六四〇号同三〇年九月二三日判決集九巻一〇号一三四四頁)。
三、叙上のとおり、上告会社のなした本件課税分に対する審査請求は期間不遵守に宥恕さるべき事由が存するとも、既に大蔵大臣に於て実体審査をなしているところであるから、原判決は最高裁判所の判断に相反し法令の解釈適用を誤つたものである。以上